水素水の特異性と共通点

公共サービス同意とは、各省庁が向こう三年間で行う政策についてその政策意図、政策目的、政策目標を掲げ、これを大蔵省との間での同意として国民に公表するものである。 特に重要なのは、政策目標で、例えば、環境交通地域省と大蔵省で結ばれた1998年の公共サービス同意では、「省エネ暖房設備設置により、100万以上のビルで暖房費を節約」「人口1万5千人以上の規模の町からの下水について二次処理を確保」「2001年までに利用マイル数でみて鉄道利用を15%増加」といった具合であった。
一方、アウトプット・業績分析(OPA)は公共サービス同意で定められた政策目標についてその達成度合いを測るための測定方法を定めたものとなっていた。 個々のダムエ事や国道建設の効果についての評価、いわゆるプロジェクトあるいはプログラム評価というのは、珍しくないが、こうした省庁の政策を大きく評価するという取り組みは世界的に必ずしも多くない。
だからであろう、日本でも英国のこうした政策評価の方法には色々関心があって、様々な分野の人々が英国に調査に来て、英国大蔵省その他の関係機関の話を聞いている。 そうした席に可能な限り、私も同席させてもらうなどして、色々と勉強、研究させてもらってきた。
そうした席では、日本側から、「政策目標はできる限り数値化されることを目指すというが、外交など数値化が難しいものはどうするのか」「政策目標の内容に細かいものやおおざっぱなものなど各省でバラツキがあって統一的でないが、問題はないのか」「政策目標が達成できない場合、予算による制裁はあるのか。 ないとすれば、一つの制度としては必ずしも完成していないということになるが、その点はどうか」等々、様々な質問が出されるが、英国側の返答は、日本人が想像していたものと異なる場合が多々あった。
無理のある言い訳や理屈付けをすることは少ない。 ビッグバンについても同様の傾向が見て取れるし、ビッグバン後の新しい金融監督制度についても、1986年のビッグバン以後、シティーの監督制度はやはり日進月歩、改良に改良を加えるという状態である。
「数値化が難しいものについては、努力するが無理なら無理で仕方がない」「バラツキがあるのも次第に是正されていくであろう」「システムが始まったばかりで、実際には予算に反映させる仕組みはないが、完璧なシステムなどないのだから、それはこれからの課題だ」等々。 「成功しようがしまいが、試すだけの価値はある」「とにかくやってみよう。

失敗したらその時考えよう」と言って笑う。 平たく言えば、「とにかく始めてみて、少しずつ直せばいいじゃないか。
何で、今そんなこと質問するのだ。 今は今の状況を見ながらできるところから始めればいいじゃないか」ということである。
いずれにせよ、判例や慣習を積み重ね、徐々にではあるが着実に変革を積み重ねていく、そんなコモンローの精神こそが英国の体質である。 毛沢東は、中国的共産主義への道を「永久革命」と称した。
絶えることないという意味で「永久」という言葉は英国にも当てはまるが、「革命」という言葉は必ずしも似つかわしくない。 英国の本質は、絶えることなく試行錯誤をところで、日本では、S元首相は、革命戦士のようなイメージが強く、その故に人気も依然として相当に高いという。
S元首相の革命的改革者としての側面を紹介するエピソードとしてよく持ち出されるものの一つに、既得権益にしがみついた労働組合と地方自治体に対する徹底した対決姿勢がある。 日本の場合は、この「進化」という言葉、「絶えまない」という形容詞が、多くの場合、ひどく欠落してしまっているように思う。
もちろん、日本企業の絶えまない技術革新は世界に冠たるものであるし、政治・行政改革の面でも、日本は着実に変化を繰り返してきている。 ビッグパンも、そこにいたるまでの各種の制度改革の結果と評価できなくもない。
むしろ、ここで言いたいのは、全てのことが一遍に劇的に変化しなければ評価できず、納得できないという意味で、日本の政治、行政、社会、特に、それをとりまくマスコミには、「革命的」な変化を好む傾向があるように思われるという点である。 それは、小さな改革や変革の一つ一つを積極的に評価することなく、「不十分でなっていない」と煽り立てる一方で、そうした小さな改革から派生するこれまた小さな弊害や副作用ばかりに焦点を当てて、「機が熟していない」といって先送りする態度でもある。
繰り返して「進化」していく、「永久進化」の中に見出すことができるのである。 S元首相は、1984〜85年の全国炭坑労働者組合のストライキで頂点を迎える炭坑労働者のストライキに屈することなく労働組合の力を削ぎ、ロンドン市議会の廃止に象徴されるように地方自治体の改革を徹底して断行した。

労働組合との関係について言えば、S政権の第一期には、労働組合改革を掲げながら、実際には、強力なストライキの圧力を前にして賃上げ要求などを相当受け入れている。 例えば、政権発足直後から始まった炭坑の閉鎖計画に抗議する炭坑労働者のストライキに対しては、閉鎖計画は取り消され、追加的補助金にも応じた。
1980年の鉄鋼労働者の賃上げ要求ストライキに対しても、結局、2%の上昇で一安心した。 更に、公務員の賃上げ要求全面的ストライキに対しても、ある程度の妥協を強いられている。
また、国営企業の民営化についても、日本で語られている以上に、S元首相は漸進的である。 そもそも、民営化政策は、S政権誕生前、ブリティッシュ・ペトロリァムの政府保有株式一部売却が労働党政権によって行われたのが始まりである。
1979年にS政権が誕生した後も、当初は、いくつかの小さな国営製造企業の持株を放出するに止まっており、政府が保有する株の50%を放出したのは、小さな実験を経た後、政権二期目の1984年になってからである。 これとても、計画的に意図されたものではなく、BTの設備投資計画のための資金を政府が捻出することができなかったために行われたという側面もあったと言われている。
日本で考えられているほど、用意周到に、革命的・計画的に物事が進められていたわけでは決してない。 結局、我々は、後から振り返って見るので、そこに一つの計画性を見るのだが、事実は必ずしもそうではないのである。
S政権で、社会保障大臣(1979〜81年)、貿易産業大臣(81〜83年)教育大臣(83〜85年)を務めたJ卿と2時間30分にわたって面会した際、J卿は、こうした点について、次のように話してくれた。 2000年11月のある日、隣人からの手紙がポストに投げ込まれているのを見つけた。
「今後も私の眠りを妨げるようであれば、弁護士を通じて対処します」と書かれている。 そう言えば、前日は、ドイツから来た友人と夜遅くまで自宅で飲んでいて扉や窓の開け閉めなど多少バタバタした。

もちろん、典型的日本人である私は、隣人としては理想的に静かであり、その晩も殊更騒々しかったわけではないと思う。 たった一晩の出来事にもかかわらず、「弁護士を通じて対処します」という警告には、日本とは異なる権利意識、権利の実現方法を感じさせられた。
救済や公的規制に依存して問題を処理しないということも意味している。

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